行動も創造物だなと思った話です。
コレはとあるテレビ番組を見て、そう気づいたのですが。
そのテレビではあるモノを修復するお仕事をする若者の話で、
その方々の信念が、
「その汚れや経年劣化による歪さも
その歴史の一つであるから、
完全に綺麗にすることは
その歴史を否定する事になる」
と、このような事を言われいていて
私はそれを聞いて、
なるほどとも思ったのと同時に
新しくするという事=今までの否定にはならない
という事が思い浮かびました。
なぜなら、
「新しくする事」と「今までの否定」
の二つの事を結び付けてるのは人間だからです。
この二つを結びつければ
当然、否定になるのでしょう。
あくまでコレは考え方ですから
「新しくする事」を何に結びつけようが
個人の自由であり、それは表現の一つなので
私は文句をつけたい訳でも何でもありません。
むしろ、そういう考え方もあるなって感心しました。
だって着いた汚れや歪さを肯定する考え方なので
私はその発想が良いな思いました。
ただ私が思ったのは
「着いた汚れや歪さを肯定」したから
それに反する行動したら「否定」になるとは
思わなかったのです。
「肯定」したら反対の行動は「否定」なる
というのは、
実は人間のエゴの思い込みです。
「反対の行動したら否定・肯定になる」のが思い込みです。
それはただの表現の一つにすぎないのです。
「着いた汚れや歪さを肯定する考え方」が表現なのです
コレを色に変換するとわかりやすいです。
「着いた汚れや歪さを肯定する考え方」を青色としましょう。
反対は「新しいく綺麗にする事を肯定する考え方」を黄色としましょう。
青色視点で見た時、黄色は反対です。
反対の位置にいる事には変わらないですが
黄色は青色を否定しているのでしょうか?
「ただ反対というだけ」ですよね。
それに対するネガティブ要素など何もありません。
それと同じなのです。
「新しくする」はただの反対の事象なだけで、
反対の事象を否定も肯定もしてないのです。
人間が「否定」や「肯定」を付属させてるだけなんです。
そう人間がつけた付属品なんです。
だから「着いた汚れや歪さを肯定する考え方」はだたの表現の一つなのです。
反対の行動したら、それを否定するにはならないのです。
それを通じて私が気が付いたのは、
行動も一つの表現でそれは芸術でもあり創造物なんだ
と思いました。
何となく見たテレビ番組でしたが
思いもよらぬ気づきを得ました。
出演されていた方々、
制作されたスタッフや関係者の方々に感謝いたします。
コレはあくまで私の考え方なので
誰かに強制するものではないです。
参考になったら幸いです。






